細川俊夫さんより

作曲家の細川俊夫さんが私のデビューアルバム「Noh×Contemporary Music」について、素晴らしい文章を書いてくださったので、ご紹介いたします! 8F04FDF2B2C24E5C9BCC943A37E11C9B.ashx.jpg リルケの詩、"Rose,oh reiner Widerspruch, Lust"(薔薇、おお!純粋な矛盾)。ここでリルケが「おお!」と感嘆詞をもって薔薇の美しさに感動して言葉を失う瞬間、言葉は消えてただ「おお!」としか詩人は発せられない。そこで言葉は否定され、感動の音(響き)だけが世界に誕生する。そしてそのあとに、「純粋な矛盾」という言葉が誕生する。この言葉は一度、「おお!」という言葉を否定された沈黙を通り抜けて、生まれてくる言葉だ。それだけに、この感嘆詞の驚きと感動が大きいだけ、沈黙(否定)の力は強く、そのあとに生み出す言葉は新しい「いのち」を持って誕生する。  
 言葉を音楽化するときに、いつも作曲家はこの「おお!」という感動、驚きの原点に還ってこなければならない。言葉の音楽化は、言葉の意味や情緒の解説であってはならない。常に言葉の新しい誕生の場に立ち会い、そこから言葉の力をくみ上げるのである。根源的な「うた」はそうやって誕生する。『おお!』という驚き、感動が強ければ強いほど、言葉は否定され、再び言葉を発することは困難になる。その言葉の根源的な誕生の場所、言葉が否定された場所を創っていくことが作曲家の仕事ではないのだろうか。  
 ぼくは能の謡のことを考えている。能の囃子の生み出すあの言葉の生まれる以前の「おう!」という野生の叫び声、鼓の沈黙を孕んだ深い一音は、謡で歌われるドラマの背景に、否定的な場所(音空間)を創り上げている。その場所で歌われるから、謡は力強く、立体的に響く。それは沈黙という否定的な場所を通り抜けた声なのだ。  
 青木涼子の新しい彼女の声のために書かれたいくつかの作品のCDを聴いて、ぼくがその批評軸とするのは、彼女の声が生まれる場所をそれぞれの作曲家がどのように創り上げているかだ。フルート、クラリネット、打楽器という楽器は単なる伴奏であってはならない。それは謡の声が通り抜けてゆく沈黙の通路(夜の道)なのである。そうした観点から、ぼくが最も好きだったのは、Federico Gardellaの『風の声』である。バスフルートのスラップ音が、沈黙を杭のように打ち込み、夜の風を模倣するような息音が、非常に制限された素材によって、繰り返される。その場所から、青木涼子の声が極めて立体的に生み出されてくる。その声は、慣習的な謡の声が一度否定されて、新たに生み出された声となり得ている。  
 それぞれの作曲家が試行錯誤して、日本の伝統的な能の声に挑戦したこのCDは、『うたの誕生』を考えるための様々な示唆に富んだ魅力的なCDだと思う。
(細川俊夫)

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