June 2014アーカイブ

IMG_1856-001.jpg 6月19日(木)読売新聞夕刊に話題盤として紹介されました。 読売新聞のWEB版でもご覧いただけます。 「Yomiuri Online カルチャー」 


◇「能×現代音楽」 日本伝統の能謡のうたい手として独自の活動を国際的に展開している青木涼子が、現代ヨーロッパの先鋭な作風の作曲家たちとの交流によって作り上げた一枚。ガルデッラ、シニュベール、サニカンドロら実力ある中堅世代の幽玄な趣の意欲作を入魂の表現で聴く。(ALM) 



IMG_1847.jpg モーストリー・クラシック2014年8月号に長木誠司さんによるCD評が載っています。

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作曲家たちを大いに刺激する青木涼子の出現  
青木涼子の出現は、能と現代音楽のマッチングに新たな展望を付与し、作曲家たちを大いに刺激している。新鮮な顔ぶれの作曲家たち。みな能の声に代表される身体の発露を、原初的な地点にまで遡って、パラレルな自分の問題として受け止めている。古典的テクストや青木の謡と融合しながら、発話の何たるかを問い続ける。エトヴェシュの《Harakiri》では、さらに幾重にも重層するテクストの歴史と現実の歴史が、そこに折り重なる。(長木誠司)



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月刊音楽誌『ストレンジ・デイズ』2014年8月号に小沼純一さんによるエトヴェシュについての記事で、5/21のコンサートとCDが紹介されています。

IMG_1853.jpg ぜひご覧ください!



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デビューCD「能×現代音楽」がレコード芸術2014年7月号の新譜月評において準特選盤に選ばれました!!


青木涼子の出現は、これまで単発的に、それもあまり可能性があるとは思えないような形で行われてきた能と現代音楽のマッチングに新たな、そして見通しのよい展望を付与し、また同時に作曲家たちを大いに刺激している。その顔ぶれがとにかく新鮮だ。多くの日本人が能の強靭な伝統に引っ張られ、どこか半端な音楽や演劇的振る舞いに留まってきたのに対し、ここに収められた作品は、青木からのオファーとは言え、能の声に代表される身体の発露を、原初的な地点にまで遡って、パラレルな自分の問題として受け止めている。それは、単に新しい能を作るというようなせせこましいスケールに捕われるのではなく、能や謡の発想から発していることは間違いないものの、何かもっと別の、声と楽器、声と息のパフォーマンスへと翔んでしまっており、それが非常にエキサイティングな場を、こうしてCDとして音だけ聴くことによっても作り上げている。いや、むしろ視覚性があると、よりこれらの作品は上演が難しくなるかも知れない。フルート族、クラリネット族は、どの作品でも息を潜め、一瞬丸出しにしながら音楽に参加する。それはサニカンドロ作品までは古典的テクストとも、そしてデュモン作品までは青木の謡と融合しながら、発話の何たるかを問い続ける。エトヴェシュの《Harakiri》では、さらに幾重にも重層するテクストの歴史と現実の歴史が、そこに折り重なる。演奏を含め、透徹した刺激的な1枚だ。(長木誠司)




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ぶらあぼ2014年7月号にCD評が載っています。 この記事はオンラインでもご覧いただけます。

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能と現代の音楽を結びつけ、独自の響きの世界を追求している青木涼子。当盤にはハンガリーのエトヴェシュら5人の作曲家への委嘱作が収められている。能の古典だけでなく、西洋の民謡の邦訳などテクストも自在に選択。共演の器楽は、時に謡の語法をトレースし、時に対置されることにより、新たな表現の可能性を纏う。そして、青木の謡も太く豊かな声のみならず、囁きやかすれすら、表現の枠の中に。器楽が言葉のニュアンスを"音"として捉えてゆく中で、なぜか言葉そのものの持つ意味が力を増してゆくのも、実に不思議。作品により、陰影が移り変わるのも心地よい。(寺西肇)



IMG_1841.jpg 拙論「能と現代音楽 ―私の活動の歩みを振り返って」が武蔵野大学能楽資料センター紀要第25号のpp.42-58に掲載されています。これは、2013年12月に武蔵野大学能楽資料センター主催の公開講座で講演した内容をまとめたもので、今までの自分の活動について書いています。ぜひご一読ください。 


IMG_1830.jpg 6月16日(月)朝日新聞夕刊にCD評が載っています。 
朝日新聞デジタル版でもご覧いただけます。 


◇能×現代音楽 青木涼子(コジマ録音) 女性能楽師が現代曲に挑む。能の謡の、のどを詰めた、あの神秘的発声法。欧州の作曲家たちはもう謡の虜(とりこ)だ。彼女のための、緊迫感と夢幻性を両立させた新作が、勢ぞろい。いざ異界へ。アンバランス・ゾーンへ。(片山杜秀) 


作曲家の細川俊夫さんが私のデビューアルバム「Noh×Contemporary Music」について、素晴らしい文章を書いてくださったので、ご紹介いたします! 8F04FDF2B2C24E5C9BCC943A37E11C9B.ashx.jpg リルケの詩、"Rose,oh reiner Widerspruch, Lust"(薔薇、おお!純粋な矛盾)。ここでリルケが「おお!」と感嘆詞をもって薔薇の美しさに感動して言葉を失う瞬間、言葉は消えてただ「おお!」としか詩人は発せられない。そこで言葉は否定され、感動の音(響き)だけが世界に誕生する。そしてそのあとに、「純粋な矛盾」という言葉が誕生する。この言葉は一度、「おお!」という言葉を否定された沈黙を通り抜けて、生まれてくる言葉だ。それだけに、この感嘆詞の驚きと感動が大きいだけ、沈黙(否定)の力は強く、そのあとに生み出す言葉は新しい「いのち」を持って誕生する。  
 言葉を音楽化するときに、いつも作曲家はこの「おお!」という感動、驚きの原点に還ってこなければならない。言葉の音楽化は、言葉の意味や情緒の解説であってはならない。常に言葉の新しい誕生の場に立ち会い、そこから言葉の力をくみ上げるのである。根源的な「うた」はそうやって誕生する。『おお!』という驚き、感動が強ければ強いほど、言葉は否定され、再び言葉を発することは困難になる。その言葉の根源的な誕生の場所、言葉が否定された場所を創っていくことが作曲家の仕事ではないのだろうか。  
 ぼくは能の謡のことを考えている。能の囃子の生み出すあの言葉の生まれる以前の「おう!」という野生の叫び声、鼓の沈黙を孕んだ深い一音は、謡で歌われるドラマの背景に、否定的な場所(音空間)を創り上げている。その場所で歌われるから、謡は力強く、立体的に響く。それは沈黙という否定的な場所を通り抜けた声なのだ。  
 青木涼子の新しい彼女の声のために書かれたいくつかの作品のCDを聴いて、ぼくがその批評軸とするのは、彼女の声が生まれる場所をそれぞれの作曲家がどのように創り上げているかだ。フルート、クラリネット、打楽器という楽器は単なる伴奏であってはならない。それは謡の声が通り抜けてゆく沈黙の通路(夜の道)なのである。そうした観点から、ぼくが最も好きだったのは、Federico Gardellaの『風の声』である。バスフルートのスラップ音が、沈黙を杭のように打ち込み、夜の風を模倣するような息音が、非常に制限された素材によって、繰り返される。その場所から、青木涼子の声が極めて立体的に生み出されてくる。その声は、慣習的な謡の声が一度否定されて、新たに生み出された声となり得ている。  
 それぞれの作曲家が試行錯誤して、日本の伝統的な能の声に挑戦したこのCDは、『うたの誕生』を考えるための様々な示唆に富んだ魅力的なCDだと思う。
(細川俊夫)
img_0a30102714862ae2fb830f85be46c79841960.jpg TOWER RECORDS ONLINEにintoxicate誌面に載ったインタビューのロングバージョンがアップされました。インタビュアーは小沼純一さんです。 


BphV9nvCYAEUwMc.jpg-large.jpg 6月7日にデビューアルバム「Noh×Contemporary Music」がリリースされましたが、タワーレコード渋谷店は現在このような状態らしいです!
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5月21日「ペーテル・エトヴェシュの室内楽」の模様が、6月7日と14日の2回に分けて、NHK-FMにて放送される予定です。 
14日に「Harakiri」が放送されますが、ちなみにこれはオペラシティのコンサートの模様で、デビューアルバム「Noh×Contemporary Music」に収録されている「Harakiri」とはバージョンが違います。CDの方では、なんと本当に薪割りをしています!
_92A1982.JPGオペラシティのコンサートでは、さすがにそれはできず、拍子木で代用しました。

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こちらがレコーディングの様子。レコーディングとは思えない風景になっています。。(よく許されたなあという感じです。。汗)
CDを聴いていただくとわかると思いますが、本当にバリバリと木が割れる音が入っています。ぜひ聴き比べてみてくださいね!


デビューアルバム「Noh×Contemporary Music」

IMG_1821.jpg 週刊オンステージ新聞(6月6日号)に5月21日「ペーテル・エトヴェシュの室内楽」のコンサート評が掲載されました。 週刊オンステージ新聞6月6日号
IMG_1778.jpg 6月2日(月)朝日新聞夕刊に、伊東信宏さんによるコンサート評「ペーテル・エトヴェシュの室内楽 融合する謡と現代音楽」が掲載されています。

朝日新聞デジタル版でもご覧いただけます。
東京オペラシティの同時代音楽企画〈コンポージアム〉関連公演 
オペラシティ リサイタルホール _MG_0273.JPG 第1部 エトヴェシュが語る自身の音楽ワールド  通訳:蔵原順子 _MG_0287.JPG 第2部 演奏 
Psy (1996) for marimba, flute, violoncello (日本初演) _MG_0223.JPG 僧侶の踊り Dervish Dance (1993/2001) for 3 clarinets (日本初演) _MG_0217.JPG カデンツァ Cadenza (2008) for solo flute (日本初演) _92A1933.JPG ポリーに贈る2つの詩 Two poems to Polly (1998) for a speaking cellist (日本初演) _92A1941.JPG Harakiri (1973) for voice, 2 bass clarinets and 1 wood-cutter (日本初演) _92A1956.JPG _92A1974.JPG _92A1982.JPG _MG_0358.JPG 演奏:青木涼子(能謡)斎藤和志(フルート)山根孝司/鈴木生子/西川智也(クラリネット)多井智紀(チェロ)竹島悟史(打楽器)


■製 作 
主催 : ensemble-no 
共催 : 公益財団法人東京オペラシティ文化財団 
助成:公益財団法人野村財団 
助成:公益財団法人朝日新聞文化財団 
助成:芸術文化振興基金助成事業

_92A2033.JPG 青木涼子デビューアルバム「Noh×Contemporary Music」の先行発売をし、ご購入いただいた方を対象に終演後サイン会を行いました。「Harakiri」も収録していることから、エトヴェシュ氏にもご参加いただきました。 _MG_0230.JPG _92A2047.JPG _MG_0395.JPG _92A2071.JPG _92A2073.JPG 本番当日は、文字通りの全席満席をいただきました!リサイタルホールでもここまでの満席は珍しいそうです。皆さんのご協力があってのことです。深く感謝いたします。 精一杯の演奏ができ、悔いはございません。また主催者としても、作曲家、奏者みんなが本当にハッピーで終われて、ホッと胸をなでおろしました。 本当にありがとうございました!